よしもとも芸能×文学に本腰。歌手からAV女優まで芸能界にちらばるネクスト又吉
芸能人と文学賞④
ムック『文藝芸人』のコピー「芸人が“本気で”勝負した」からすけて見えること
17年3月には、文藝春秋から、よしもと芸人だけで構成したムック『文藝芸人』が刊行されました。同じ回に芥川賞を受賞した二人、又吉さんと羽田圭介さんが登場していること以外、とくに文学賞とは関係がないので、ここで触れるのは場違いかもしれません。ただ、何といっても気になります。
何が気になると言って、表紙と背に書かれたキャッチコピーです。
「よしもと芸人が本気で勝負したスペシャルな文藝春秋」
どういうことでしょうか。
一般に「文学」という言葉に備わるイメージは、いろいろあるでしょうが、けっこう根強いのが「真面目なもの」ってやつです。
真面目に取り組んでいる(ように見える)か、ふざけている(ように見える)か。……その違いは、文学評価のなかでも、なかなかしぶとく生き残っています。ユーモアがあるものや軽い文体のものは、文学賞では分が悪い。というのは、これまでいろんな人が指摘しているとおりで、古くからやっている直木賞を見ても、「ユーモアがある小説」と見られた獅子文六、徳川夢声、宇井無愁、玉川一郎、飯沢匡などは、みんな落選組です。
真剣に書かれていると判断されることが、文学かどうかの重要な分かれ目、といった風潮は、いったい何なんでしょう。読んでいるこちら側は、書いている人がふざけていようが真面目だろうが、どちらでもいいですし、そもそも真剣や本気なことが文学であることの必要条件なのか、疑わしいですけど、少なくとも「文学」に対するおカタいイメージは、ずいぶん浸透してしまっています。
そして、芸能人のなかでもとくにお笑い芸人は、歴史的に「どこかふざけている」と見なされやすい存在でした。これはいつしか「そうは言っても、芸人は真面目」というストーリーが多く送り出されたおかげで、さほどの偏見はなくなったと聞きますが、しかし「文学」に対して向けられた真面目イメージと重なるまでは、まだ到達していません。
「本気で勝負した~」と、つい謳ってしまうコピーには、芸能人による「文学」は、もともと余技にすぎず本気だと思われていない、みたいな土壌の存在が如実に現われている。そこがどうしても気になってしまうのです。
〈2017年7月刊行『芸能人と文学賞』より構成〉